『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 (らくがき)
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319-1. 『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 ヴィレ 2004年8月15日(日)8時22分

9.11テロが米国で発生した時「アメリカ本土が攻撃されたのは真珠湾以来のことだ」と言われ、そのテロ行為を(kamikaze attack)突入した犯人を(kamikaze pilots)とも表現されていた。
その後各地で自爆テロが展開され、どちらも自らの命を犠牲にする異常さには違いないが、民間人をも犠牲にする自爆テロを、特攻隊と同一視点で捉えてもいいのだろうか、と云う気持ちを抱いている時に、本書『ねじ曲げられた桜』を知りました。

近世日本史、特に明治以降の近代史は近すぎて、歴史としては捉えにくいのか、或は都合が悪いのか、今の日本がつくり上げられた重要な時代だと思うのに、現在の学校でもこの時期のことは内容も乏しく駆け足での授業らしい。

今また「愛国心」を、国が言いはじめている。
「愛」もまた「桜」に似て、幅広い意味のフィールドを持っている。

☆…………………

ねじ曲げられた桜 —— 美意識と軍国主義 ——

著者:大貫 恵美子

出版社:岩波書店:602頁:B6判 :出版年:03年4月22日: 本体価格:\ 4,000円

2段組み・ハードカヴァーです。

著者は在米日本人の象徴人類学者で現在アメリカ・ウィスコンシン大学教授。


60年余り前、日本の国花である桜は「祖国、天皇のために潔く散れ、桜が散るように」と多数の若者が「カミカゼ」に搭乗して海の藻くずと消えていった。桜は、死に追いやる花となり、太平洋戦争敗戦の直前には特攻隊のシンボルとなった。
若い兵士が桜のように散る、という観念がどのようにして作られたかを実証しようとしている。

為政者は桜の美しさを、ナショナリズム高揚と戦争遂行に利用したのだ。

著者は特攻隊員の遺した膨大な記録を読み、特攻隊員たちの日記に表現された理想主義と学ぶことへの情熱を検証・分析し、平和への願いを込めた、人類学の見事な成果。

☆…………………

第1章 桜の花と生と再生の美学
第2章 もののあわれの美的価値—咲く桜から散る桜へ
第3章 仮想の世界の美と桜—自己と社会の規範を超えて
第4章 文化的ナショナリズムと桜の花の美的価値
第5章 天皇の二つの身体—主権、神政、軍国主義化
第6章 桜の花の軍国主義化—桜の花が戦没兵士の生まれ変わりになる過程
第7章 国土の象徴としての桜の花—民衆の軍国主義化
第8章 「運命を選ぶ自由」—特攻隊の成り立ち
第9章 特攻隊員の手記
第10章 国家ナショナリズムとその「自然化」の過程
第11章 グローバルな知的潮流を源泉とする愛国心
第12章 幹を曲げられた桜

☆…………………


本書を読んでイラク戦争を仕掛けたアメリカと、桜を使った戦前の日本政府のイメージ戦略とが益々重なってくる。

「自爆テロ」
今さら遅きに失っするようにも思いますけど、自爆テロは今だに頻発していて少し前にも、ロシアのロックコンサート会場でも多くの人が死亡したと報道されています。

自爆テロはエンドレスに続くのでしょうか。

今日は日本の59回目の終戦記念日(敗戦記念日)ですね。


※ 読んでみたい方は、\ 4,000円なので「無料貸本屋」⇒ つまり公共図書館で、リクエストして下さいね。


(最新10発言以前は省略) →全発言を読む


319-13. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 YOSI(実家) 2004年8月21日(土)3時15分

僕もひとつ意見を・・・。私の一昨年なくなった祖父(同居していました)は戦争をリアルタイムで体験しています。軍人でした。それも陸軍憲兵で、陸軍中野兵学校なんてところを卒業した情報将校で、軍では暗号解読を担当。日中戦争時は満州に、太平洋戦争時にはシンガポール上陸に参加し、司令部で内地との情報伝達を行い、敗戦後は戦犯としてイギリス軍に軍事法廷にかけられ、幸いにも何年かラバウルだったかの刑務所に入り、だいぶ遅れて帰還した、かなり波乱万丈の人生を送った人です。僕は子供のころから結構戦争中の色んな話を聞きました。そしてその内容が、かなり教科書や本で学んだ内容と違うことを感じてました。ちなみの僕はよく、祖父とそれで喧嘩しました。つまり教科書や本にある、日本があの戦争で一方的に悪で加害者的立場であるという考え方、悲惨で最悪な戦争を二度とくりかえしてはならないという自虐的、反省的立場とはかなり違い、僕は祖父はかなり過去を美化しているのではないかと思い、よく議論になりました。今僕が祖父の意見を思い出してみると、よく言っていたのは、
「あの戦争が良いとか悪いとかいうのは無意味だ」
「あの時代において、国民も、政府も別に侵略戦争がやりたかったのではない」
「周囲から経済的にも資源的にも孤立、圧迫させられ、その状況を打開するためには、嫌だけど戦争をせざるを得なかった」
「具体的には、日本にはない石油や鉄鉱石などの資源を確保するために東南アジアや
満州を必要としたが、その利権を確保する途上でアメリカやイギリスと利害が衝突した」
「それらを得るために戦争という手段に訴えたことは過ちだったと思う」
「しかし、それらの国々にはすでに欧米諸国が植民地化することで、先に支配していた。まだ欧米諸国より、同じアジアの国の日本が進出したほうが良かったのはないかと当時は考えていた」
「戦争自体は過ちだし、罪は罪だが、結果論として、あの戦争が東南アジア諸国を諸国から開放することにつながったともいえないか?」
「日本を非難する国も今でも多いが、しかし東南アジア諸国の国には今でも親日的な国もたくさんある。」
「少なくとも自分は(祖父)はシンガポールなどにおいて、非道な行為はやっていないし、またそれだからこそ、死刑や極刑にはならなかった」
「軍事法廷においては、現地の人々の証言をもとに、人道的に許されない行為を非戦闘者、一般人に加えていた人間、軍人は裁かれていたが、自分は職務(情報伝達)に一生懸命になっていただけで、それが罪といえば罪だが、しかし人道にそむく行為はしてないから重い罪でなかった」

等々です。そして意外に感じられるのは祖父がこれらの思い出をすごく楽しそうに話すことです。(僕がいちゃもんをつけるまでは)

今僕が思うのは、祖父にとってあの時代というのは、悲惨なだけの時代でも、悪に満ちた時代でもなく、もちろん美化できる美しい時代でもない。ただ一生懸命生きただけの時代であり、そして青春時代を一生懸命生きた思い出は、とても懐かしいものであるということ。それを知らない僕は、冷静に時代の、国の善悪という大きな見方で考えてしまいがちだけども、それだけでは語れないものなんだと。

ようやく最初の神風特攻隊とテロの違い、というのになるんだけど、もっと単純化して考えることもできるのでは。彼らは国家のためとか、天皇に対する忠誠とか、宗教的理由とか、それらもあるんだろうけど、ただただ仕事を一生懸命にしようとしていた、という風にいえるのでは。死ぬくらい一生懸命なんて変!といえるかもしれないけど、今だって仕事に一生懸命で過労死したり、責任をとって自殺したり、勉強に根をつめて死ぬ人だってたくさんいる。その延長線ともいえるのでは?と考えてみたり。

僕はあの戦争を肯定する気は全くないです。しかし祖父の生きた時代を全否定することもない。少なくとも今は。戦争で直接人を殺しているであろう、それを直接語ることはなかったがそれを思わせることをいっていた、その祖父が悪人では全くない、非常に優しい人間であった。
祖父は言っていました。「ただ生きて日本に帰りたかった。そのために戦った」と。


319-14. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 あお 2004年8月21日(土)10時9分

>JOE吉田さんへ
確かに仰るとおりだと思います。
個人個人によってそれぞれの考え方があると思います。
ちょっと専門的になりますが、
「ひとつの事実の解釈が何通りもありますよね。そして、そのどれもが正しいという場合が。」と述べられていますが、
それは、「何を根拠に?何の史料をもとに?誰の証言をもとに?」っという話になる訳です。そしてその元となった材料の信憑性は確かか?っていうことになります。
信憑性のない史料を元に発言すれば、それは真実に遠くなるということです。
どれもが、正しいという立場に立っていては、歴史は科学できません。
確かに個人的な立場や考え、思想はあるかもしれません。(右寄思想、左寄思想など)現在でも、ひとつの年代において様々な争点が争われています。
勿論、皆さんが自分の意見が正しいと思って発言している訳です。
が、決して個人的感情だけで物事を発言しないんです。
よく古代史なんかで、歴史はロマンだと仰っている方がいますが、歴史はロマンではありません。なぜなら、「ロマン=個人の想像」と仮定した時、想像だけで発言している専門家はいないからです。(←ここは言いきりますよ。)
そして、それが「歴史科学」のルールなんです。そしてそのを守りつつ自分の核とする(言わんとする)意見を元に、相手の出してきた史料や証言の矛盾点を比較、追究すること、それが「歴史を科学する」ことだと思います。

「科学」といっても、理系の科学とその実践方法は違うかもしれません。経済学や理系の科学やらは詳しくは存じ上げませんので私の考えですが。

本題のスレと全然それてしまっていますが・・・(汗)、しかも長々とすみません。



319-15. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 あお 2004年8月21日(土)10時21分


すみません。誤字があるではないかぁ〜?個人的に結構誤字をあちこちでさらしまくっているのには気づいていたんですが、今回はちゃんと訂正を入れておきます。
下から6行目、「そしてそのを守りつつ」→「そしてそのルールを守りつつ」に訂正して下さい。(苦笑)



319-16. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 HADANO'S HATE CREW 2004年8月21日(土)14時5分

興味深い話題なので私も参加させてもらいます(歴史とか科学とかわかりませんが)。

私は戦争や宗教の背景にあるものとかは詳しくはわかりませんが、人が何か行動をするときの決断は必ず自分ですると思います。やる・やらないを決めるのは絶対に自分です。それは何をする時(勉強、仕事、親切、犯罪、etc…)も同じだと思います。個々で異なるのは決断に至るための判断材料だと思います。これは個人の生きてきた歴史、宗教、環境などでそれまでに得てきた情報によって全員が異なると思います。

判断材料は大きく分けてルール(法律、etc…)と人道(←この言葉が正しいかわかりませんが…)と環境だと思います。ルールは力のある人たちが都合の良いように定め洗脳に近いかたちで大衆に広げるもので他人から押し付けられた判断材料と言えるでしょう。ここで言う人道は宗教などの個人が常識として自発的に信じているものとします。言うまでもありませんが環境は立場や経済やまわりの状況などです。

以上の3つのような判断材料のバランスは異なりますが『自爆テロ』も『神風特攻隊』も物理的に捉えると自害して相手を殺める行動という意味では同じだと思います。この2つの行動が正しいか間違っているかの判断は私には出来ません物事には多面性があり立場により上で述べたように判断材料が異なるからです。ただ、人が死ぬということは誰かが悲しむことなので望みはしません。

最後に“破壊(殺人)行為はいけない"という考えも人間がつくりだした都合の良いルールにすぎないのかも知れませんね。動物(虫)は殺してしまうんですから。

※論点と合ってるか不安なんですが…以上です。



319-17. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 あお 2004年8月21日(土)21時39分

319-14のレスに追記させてもらっても良いですか?(しつこいですが・・・。)

何が正しくて何が正しくないかというのは、歴史の範疇ではないと思います。
ただただ過去に起こった真実を追究することだと思います。正直、そんなことは専門家にやらせておけば良い(←笑)と思っています。

大切なのは、その専門家が導き出した史実を多くの人に伝えること。
そして多くの人に考えさせて、悪いことだったら繰り返させないようにする、正しいことならお手本にするっていうことが、歴史の意義であったら良いな〜っ、と勝手に思っています。

ヴィレさんの紹介して下さっている本「ねじ曲げられた桜」、多分出版社やお値段的なものからして専門書っぽいんですけど、何となぁ〜く読んでみたいような気がします。
その本に、ここのスレの答えの一部が隠されていそうなので・・・。
・・・機会があったら読んでみたいと思います。




319-18. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 JOE吉田 2004年8月21日(土)21時57分

>あおさんへ
おっしゃるようなことは、私も日頃から関心を持っていることですので(レベルは全く低いですが)、ある程度理解できます(より理解できるよう要勉強!)。
歴史を学問として取り組むためには、「何を根拠に?何の史料をもとに?誰の証言をもとに?」ということですが、資料は意図的に嘘をつく、書いた人の感情が入る、当時としては当たり前すぎて重要な事項にも関わらずあえて記載されていないなど様々な歪みがあるため、それをきっちり見極めないといけないということですよね?
要は、歴史を科学する人には豊かな感性・人格・経験・冷静さが必要になってくると思います。





319-19. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 H・W 2004年8月24日(火)1時0分

たとえば、僕の愛する家族が、誰かの手によって理不尽に殺されたりしたら、
僕はどれほどの怒りを感じるだろうか。
一日に何回も祈りをささげている、自分にとって絶対的な「神」を侮辱されたと感じたら、いったいどれほどの憤りを覚えるだろうか・・・。
ちょっと想像できないくらい、大変な憎悪の念が燃え上がるに違いない。

自爆テロリストは、神に近づきたいとか、英雄になりたいとかの理由で爆弾を抱えるわけではないと思う。
怒っているのだ。ものすごく。
もちろん、彼らだって、死ぬのは怖いだろう。
「死んだら英雄」なんてのは、その恐怖に対するちょっとした麻酔薬に過ぎない。
彼らの根底にあるのは、やっぱり、身を焦がすほどの憎悪であるように思えてならない。

翻って、特攻に散った日本の若者たちは、それとは少し趣が違うような気がする。
武士道精神というか・・・。
正しく生きようと・・・ただ盲目的に姿勢を正そうと生きた末路というか・・・。
アメリカ兵を憎むあまりの玉砕、って言うのではなく、
自分が正しくあるために命を賭したっていう感じ。
今となっては、その「正しさ」の方向性が思いっきり違っているといえるわけだけれども、
当時の日本にとっての正義って言えば、もう・・・。

でも、根底にあるのが何であれ、自分自身が爆弾となって敵に飛び込むっていう「狂気」を、アメリカ人が「kamikaze」と一括りにするのは、別に間違っちゃいないと思う。
「特攻は民間人を標的としていないから、一緒にするのは特攻隊員に失礼だ」
などと言ってはみても、テロリストから言わせれば
「アメリカ人が何人の民間アラブ人を殺したと思っているのか。」となり、
「われわれの敵は全アメリカ国民であり、別にアメリカ軍やアメリカ政府じゃない」となるだろう。

で、アメリカ人から見れば、どっちも、「敵」に向かって突っ込んで行くことに変わりはないじゃないか、と。

実行者の精神性に踏み込んで細分化することはできるけれど、
結局、「どっちも狂気」というのが、もっとも健全な発想だと思うわけで・・・。


319-20. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 すわんそんぐ 2004年8月24日(火)13時52分

『小林よしのり』の『戦争論』(3まで出ている)を読みましょう。


319-21. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 ヴィレ 2004年8月29日(日)12時52分

当然ですが、本書はイラク戦争について迄言及していないです。

自爆テロと神風特攻隊を同一視した認識に、いち日本人として疑問を持ったのが切っ掛けで本書を読みました。

先述しましたが
本書の主題は、序章のはじめにある通り「日本の絶対主義的政治体制下において政策がどのように『美化』されたか、シンボルとか理想を『美化』することによって、政策がいかに国民に抵抗少なく受け入れられていったか、という過程についての研究」です。

米国では「カミカゼ」を無教養な狂信主義者、理解不可能な日本人という捉え方が強く、それが原爆使用にもつながっていった。
日記や読書リストをあげることで多様な考え方の人間であることを伝えたかった。

更に言えば、日本の桜にあたる象徴は英国ではバラの花、米国では全州に共通する星条旗がそれにあたると思います。
ナショナリズムと結びついて人々を駆り立てる象徴の恐ろしさ、それを自覚してほしいと言う願いが根底にあると思いました。


あおさん、何度も熱心に書き込みをして頂いて、心から感謝です。

お値段的に\ 4,000円なので、CDを2枚買えますから、図書館で借りて下さいね(もちろん内容は金額以上の価値ですが)私からのお願いです。

皆さんのそれぞれの重要な考え方がぶつかり合い納得できる議論を交わして頂いて、ありがとうございました。




319-22. Re:『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。 ヴィレ 2005年8月15日(月)16時7分

『終戦・被爆 60 年企画』ということで
8月6日(土)から8月14日(日)まで連日、NHKスペシャルが放送されました。

8月9日(火)の「赤い背中 〜 原爆を背負い続けた 60 年 〜 」が強く心に残りました。

16歳のときに長崎で被爆。
背中一面にひどい火傷を負い、治療法もなく絶望視されながらも奇跡的に生き残った少年。

放射線で皮膚の遺伝子が壊れているから自然治癒しないばかりか、60 年後の今も原因不明の硬い異物ができて痛み、苦しみも続く。
60 年間仰向けに寝れない。車や飛行機に乗る時も背中をシートにつけられない体なので、体力の消耗も激しいのに、原爆の恐ろしさを伝えようと講演会や原水爆禁止運動へ参加している姿が紹介されていました。

このドキュメンタリーを見て
痛みに耐え続け、60 年間拷問され続けたのに等しいと。


NHKスペシャル『終戦・被爆 60 年企画』を見て。。

最近こちらのサイトを知った方も多いようなので1年前の
『自爆テロ』と『神風特攻隊』の違いは・・。も読んで頂けたらと考え、このスレッドにまた書き込みしました。


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