- 4. KARL 2003年8月29日(金)21時4分
- そうですか、あのチッタでのライブは1992年ですか。もうそんなになりますか。あのときのことはよく覚えてますよ。そのころ、俺はバイトしてお金を貯めて、HMライブにせっせと行っていた。しかしあのライブを観て、それより前のライブは実はたいしたことはなかったんだということを知った。極論だが、今でもその考えは基本的には変わっていない。実際たま〜に他のバンドのライブには出かけているが、観る前からそれが頭にあって、やっぱり確かに悪くは無いけどそんな良くも無いということが続いている。あのとき早めにチッタに出かけて行って、会場の外からメンバーがライブのリハーサルをやっているのを聴けた。曲は「When Love Comes Down」で、なんかゆっくり目に演奏していて丁寧にいろいろチェックしているな、カールは中間部の高音も完璧だなと思った記憶がある。で、開場してライブが始まった。1曲目は「Abandoned」で、おーっと思ってみていると、ギターソロの前になって、カールがあそこの高音シャウトをまさに咆哮!という感じで歌うを観て…頭の中で「プチッ!」って音がした…ような気がした。とにかく、カッコイイ!!アルバムよりもパワフルで激しい!!あとは、とにかくかじりつくようにしてライブに見入った。「World Church」のギターソロの後、「Saturate the earth with the blood of man!!!」のシャウトは、ジェフが歌っているということはそのとき観て知った(後でBurrn!にそのときの写真が何度か使われていた)。途中でデイヴ・スターがベースを床に叩きつけて壊したのは、音が出ないとかトラブルがあってスタッフを呼んだりとかいろいろしていて、いい加減イライラしてやってしまったように思った。彼は少々オーバーアクション気味で、どうでもいいところで拳を突き上げたりと少しうざかった。後で脱退したときはなぜか「やっぱりな」と思ってしまった。カールがMCで、「今日はライブ録音をしています!」みたいなことをでかい紙に書いてきて観客に見せた。しかしベースのトラブルやチッタでの一日目ということもあって、ライブアルバムは次の日のチッタでの演奏が使われたのだろう。とにかくそんな小さなトラブルは軽々と吹き飛ばしてしまうようなもの凄いライブだった。セットがすべて終了し、2度?のアンコールの後、客電がついて「本日は終了ですありがとうございました」とアナウンスされても誰も帰らずメンバーを呼び続けた。だってそりゃそうでしょ!ここで帰れるわけ無いじゃん!普通の他のバンドのライブだと2度目のアンコールは求めるやつ派とやってくれるかわからんからとっとと帰る派に分かれる。だがVRのあのときだけは、メンバーは絶対また出てきてくれる、そういう確信があった。再び出てきてくれて、メンバー同士でハイタッチとかしていて彼らも満足そうだった。もう曲が無いのか、普段は演らなそうな「Ends of the Earth」を演ってくれた。クラブチッタ川崎はスタンディング形式だが、会場が中央で二つに仕切られている。おれは終始ステージから遠い仕切りの後ろだったが、別に彼らから遠いとは思わなかった。その仕切りの黒いバーに寄りかかって「なんて幸福なんだろう」と思いながらヘッドバンキング(死語?)をした。隣は知らないふつ〜の女の子だった。彼女も一緒に慣れないヘッドバンキングを心から自然にしていた。あのときのライブを観終わった後の満足感を忘れることができない。それは今でも続いている。あの日から俺は変わった…ってことはないが(笑)。
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- 5. GEN 2003年10月3日(金)23時14分
- クラブチッタでのあの日あの時間を共有した人がここにいることに、今猛烈に感動している!あの日のライブは本当に凄かった。
伊藤政則氏が、嵐の夜のツバキハウスでのY&Tの凄さを伝説として語り続けておられるが、私はあの日のVICIOUS RUMORSを一生伝説として語っていきたい!…それほどまでに強烈なライブであった。
ライブスタート1曲目か2曲目のソロパートで、いきなり弦が切れてしまったジェフ・ソープだが、全く慌てることも動じることもなくチューニングの狂いをアーミング&ハーモニクスで乗り切りマーク・マクギーにスイッチ。 その日は最前列を死守していた私、切れた弦が目の前でプラプラゆれるのを見ながら、そんなトラブルの中にも「俺たちはライブバンドだ!」との姿をまざまざと見せ付けられ「一生付いていくぞ」と瞬間ココロにスイッチが入った。
繰り返すが、あの日のライブは我が人生TOP5ライブの頂点を占める。(因みに残り4つは、RIOT初来日:東京MZA有明、SEPULTURA初来日ショウケースギグ:川崎クラブチッタ、ANTHEM TIGHTROPEツアー:金沢VANVANV4、OVERKILL初来日:会場忘れた)
先日のC.O.B.のライブは凄かった。アレキシにはニッキー・シックスばりのスターオーラを感じたし、完璧なライブであった。DREAM THEATERには毎回ぐうの音も出ないし、PANTERAにも毎回玉砕させられる。生前のHIDEのソロツアーでは「エンターテイメントかくあるべし!」とロックショウの楽しさ素晴らしさをいつも再認識させてくれたし、SLAYERの王者の風格にはこれまた毎度失禁モノだ。VAN HALENでエディが一音出した瞬間に感動して涙した自分がいるのも事実出し、JEFF BECKのギターサウンドに「別格」という言葉の意味を知った。ついこの前のX JAPANのフィルムギグも心底楽しませてもらった。11月のMETALLICAにはここ数作分の埋め合わせを大いに期待している。
BUTBUTBUT!がしかし!である。今まで約19年ギターを弾き、数々のバンドでスラッシュからポップまで、コピーもオリジナルもありとあらゆるジャンルを通過してきた自分(勿論常に本命ド真ん中にはHEAVY METALありき)をもってして、「1番」と断言できるバンド、それがVICIOUS RUMORSである。
いままでも、そしてこれからも、BURRN!のBEST GROUPはVICIOUS RUMORSの指定席と私の中では空気を吸うかのごとく当たり前に決まっている…
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- 6. 更迭の処女 2003年12月1日(月)13時46分
- 熱い、熱すぎですよ、GENさん。(^^+
VICIOUS RUMORSは10数年前に「DIGITAL DICTATOR」を聴いたっきりですが、 確かに素晴らしいアルバム、素晴らしいバンドですね。 私もまだ聴きこみが甘い方なので、今度「SOLDIERS OF THE NIGHT」や「WELCOME TO THE BALL」も聴いてみます。 ところで、OVERKILL初来日って中野サンプラザじゃなかったですかね? 私も行った記憶があります。
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- 7. gen改めgen 2003年12月13日(土)21時16分
- >更迭の処女さん
「GEN」は改名前の私です(当時同姓同名の方が居たようなので)。 いやー、VICIOUS RUMORSのことになると、自分の周りの酸素が薄くなるくらいに興奮して熱くなってしまうので、もう止まらなくなってしまうんですよ。 今でも全く飽きることなくずっと聴き続けています。時代に迎合することなく、常に王道まっしぐらな彼ら(とジェフ・ソープ)。 私が熱いのは、彼らが私の100万倍熱いからでしょう!
あーまた熱くなってきたぞー!!!
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- 8. わてる 2004年8月5日(木)18時20分
- こんなホームページが有るのを知り、高校生の頃一番好きだったVICIOUS RUMORSについて語っている人たちがいるので、自分もたまらずキーボードをたたかせていただきます。
1990年ごろ星の数ほどあったメタルバンドの中にあって、VICIOUS RUMORSはパワーと切れ、メロディアスさ、アンサンブル力のバランスが良く取れていたと思います。 そして、不世出の名ヴォーカリスト、カール・アルバート!! Degital Dictatorの頃は若干線の細さを感じましたが、Vicious Rumorsのアルバムに至って、ハイトーンでありながらパワフルさを失わない歌唱を身に付け、メタル界随一のヴォーカリストとなりました。 黄金期のアルバムVicious Rumors とWelcome to the Ballの2枚は、メタル史に輝く名盤でしょう。ただ、私の周りではさほど知られていませんでしたが・・・
メタルファンは激しさ、ヘヴィさを求めますが、Vicious Rumorsは極めて音楽性の高い集団でした。Hellraiserのようなゴリゴリの曲もファンは大好きですが、メンバー達はより高い音楽性を発揮したかったのでしょう。ジェフ・ソープ復帰後のアルバムThe Voice はいわゆるメタルの枠を越えはじめた、若干敷居の高い作品となりました。しかし当時18歳だった私は、The Voiceのかっこいいイントロ、カールの見事な歌唱、真剣な思いのこもった歌詞に圧倒されたものです。
そして、思い出すのも悲しいあの出来事が・・・。 BURRN!の白黒ページに小さく「カール・アルバート事故死」の記事を見つけたときは絶大なショックを受けたものです・・・。 そしてカールなきあと、ジェフ・ソープを中心に作られたSomething Burningはカールの存在がいかに大きかったかを痛感させるものとなってしまいました・・・
高校生〜大学生の頃、もくもくと一人で聴きこんでいたVICIOUS RUMORS,もし現在のようなネット社会だったらリスナーの私自身にも違う展開が生まれていたことでしょう。 内にこもる感情を爆発させたくて、でも方法がわからなかった。そんな自分を代弁してくれていたのが彼らだったように思います。自身の思い出とともに一生忘れることのできない大切なバンドです。
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- 9. テストメンタ 2006年10月28日(土)0時58分
- あまり期待せずに買った「WARBALL」を聴きました。
どうしたんだビシャル?ってぐらいにカッコよくなってる。 かなり嬉しい誤算。
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- 10. ステラ 2007年4月19日(木)11時59分
- 4月18日ライヴ行きました。
VICIOUS RUMORSの作品として重要なVicious rumors〜Welcome to the ball収録のナンバーが期待以上に多く聴けて嬉しかったです。
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- 11. gen改めgen 2007年4月20日(金)0時3分
- 5、7に熱い想いを述べた私、10ステラさんと同じく18日行って参りました。
オープニングからWARBALLアルバムからの3連発のあと、キタ!Don't wait for me!!!もーこれで自制が効かなくなりました(激) 途中On the edge、Digital dictatorである意味エクスタシーに達し、そしてAbandoned、You only live twiceの連続攻撃で頭の中の“何か"が、完全に切れた!(笑) 後はただただ身体が勝手にエンジン爆走しておりました。そして最後の最後オーラスは当然のHellraiser!!! 最高にイイ汗かいて、熱い熱い夜を過ごせました♪
ジェフがエラク増大しサザンロック親父のような体格になっていて、シャープな佇まいにジャクソンVの絵姿が好きだった私には、初来日からの時の流れをそんなところで感じました(苦笑) 因みに、ジェフは今DEANのML、RAZORBACKが使用ギターなので、そういった点でも佇まいのイメージが随分昔と違いましたね。 デイブ・スター以外の現メンバーでのライブは、YOUTUBEでチェックしていたので、クラシックナンバーも全く問題なしなのは承知済みでしたが、カールの旋律を十分に歌い上げていましたよ! そうそう、いまどきメンバー全員長髪で黒の装いのバンドって、今や居そうで居ない。そういった意味でも感激しきりでした。
外は季節外れの寒さと冷たい雨だったけど、クアトロの中だけはその瞬間世界で一番熱い夜だったことは、その場にいた人ならば納得するでしょう。 サイコーだVICIOUS RUMORS!!!!!
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- 12. 火薬バカ一代 2007年4月20日(金)23時17分
- 19日に参戦。VICIOS RUMORSとRIOTのカップリング公演なのに、
会場がクラブクアトロというのが引っ掛かりましたが (どちらも空白期間がネックになったか・・・)、 いざ始まってみればそんな事は忘却の彼方。 やはり名曲を沢山持ってるバンドは強い。(これはRIOTも同様) 一番楽しみにしていた“DON'T WAIT FOR ME"を序盤で早々に繰り出しても、 後半、ネタ切れになることなく最後まで突っ走れるのですから。 そして何より、今回はジェイムズ・リヴェラの存在に尽きました。 歌声もルックスもゴツイのに、背が意外なほど小さいのには驚かされましたが。 本人も「ロニー・ジェイムズ・ディオ」と自ら笑いを取っていましたっけ。
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- 13. cri0841 2008年3月31日(月)21時5分
- U.S.パワーメタルの伝説的ボーカリストのジェイムズ・リヴェラと、
元ANVIL CHORUS(HEATHENの前身バンド)でベイ・エリアでは伝説的な ギタリスト、セーン・ラスムッセンという、マニアには驚きのライン ナップで再来日も成功させたVRですが、現在二人とも脱退しておりま す・・・。 ま、心配はすまいか。ジェフ・ソープが如何にメタルに忠実な作品を 提供できるかどうかですものね。
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